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くりっぷがわりにつかっとります |
『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫) (via morutan) (via hanemimi) (via sandman-kk)
こういうの僕はリアルだと感じてしまう。
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あの日女の子とうまくしゃべれなかったから、何も女の子のことを知らなかったからぼくはアイドルのことを信じたい。そういう立場で居たい。少し大げさな言い方になってしまうがいつまでたってもアイドルは希望だ。僕らとは違って素敵な女の子にはちゃんと素敵に育って欲しい。少なくとも僕はそう思う。
週末のパーティーはクラブだけで起こっているわけじゃない。百貨店の屋上や、家電量販店、複合型ショッピングセンター。君の人生を彩ってくれる少女がそこに居るかもしれない。ちゃんと新しいスニーカーおろして行こう。最初の握手が君の人生を変える。
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ある精神科医の書いた本を読んでいて、おもしろいなとおもったのは、病気が治りそうになると、治療にこなくなり、他の病院へ転院してしまう患者がいるということだった。理由はもちろん、「このままだと本当に治ってしまうから」である。病気が治るのは、実はけっこうつらいものだ。今まで、病気だということで免除されていたあれこれと、現実的に向きあわなくてはいけなくなるからである。就職はどうする。税金を払え。結婚をしろ。子どもは、家は、生活は。それならば、いっそのこと病気でいいやと、つい考えてしまう人がいても、おかしくはない。病気はくるしい。しかし、治るのもけっこうしんどい。だったら、今のままでいいや。これは、たしかに想像がつく。
誰もがしあわせになりたがっている、というのは、たぶんまちがっている。幸福も、けっこうたいへんなのである。逆に、「また失敗しちゃった」とか、「やっぱりだめだった」というのは、とても安心なのだ。もし、今までに経験したことのないような、ものすごいしあわせを手にいれてしまったら、自分はいったいどうすればいいのか。このままだと、冗談じゃなく、本当にしあわせになってしまう。どうしよう。そんな、よくわからない状態で、未知の幸福の前で立ち止まり、うろうろしている人を、わたしは今までに、けっこう見たような気がする。
わたしはおもうのだが、そうやって、失敗することや、負けることが癖になってしまうのは、すごくこわいことだ。負けることに安心するのはまずい。なにかに挑戦して、失敗すること自体はぜんぜんかまわないが、うまくいく方がいいに決まっているからだ。目の前にしあわせの可能性があるときは、手をのばしてちゃんと取るべきである。そっちの方がぜったいにいい。
"2005-11-30 - 空中キャンプ (via mcsgsym, yuco) (via furoneko) (via mekarauroko)
開高健の言葉を思い出す。
「一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。
でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを
知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ。」
過コピペ@2ch よく見るとひらがなってすげえ前衛的な形してるよな (via 46187)
(via motomocomo)
反省すべき夫への暴言 続・妄想的日常 (via eternityscape)
(via otsune)